あんまり楽しくない飲み会で考えていたこと

言語化できないからアートとして表しているのに、現代アートは説明ありきとか聞くとがっかりしちゃうな(別に飲み会でこの話をしていたわけではない)

なにかを感じてくれよ、なにかしらお前が考えてみろよ、正解みたいなものを求めてくるなよと思う。解釈が作者と違くてもそれはそれで良くて、(というかそれが当たり前で)鑑賞者一人一人対作品で世界観がそれぞれに広がるのがいいと思う。鑑賞者各人の考え含めてアートというか

近頃

やっぱり映画が合わない、彼は万引き家族を途中で見るのやめちゃうしエターナルサンシャインでは泣けない、私はコーヒーが冷めないうちにでは全く泣けない、彼は4回も泣いたのに、それに笑いのツボが合わない、ツボというかテンポが合わない、私は食べ方の汚いYouTuberでは笑えない、何言ってるかあんまりよく分からない、聞き取れない、食の趣味も合わない、私はスイーツ好きじゃないし、彼は食当たりを恐れて生牡蠣を食べようとしない、あと私は車興味ないし、ヒップホップも興味ないし、てかそもそも音楽が合わない、彼は英語が少しも分からない、でも分からなくても私は洋楽を聴きたい、彼は分からないと聴きたくない、それに彼は本を読まないし、私は漫画を読まない、アニメも見ない、NHKの受信料を払わない、難しいことを考えようとしない、彼は芸術への興味がまるでない、私は怪談や未確認飛行物体などの話にはまるで興味ない、彼は私が衝動的に彫刻したり絵の具ぶちまけたりするのを知らない、知ったところで、作品への興味はないだろう、私と会ってるのに私の知らない人の話を楽しそうにする、そもそも友達に会わせるのも意味が分からなかった

私としてはそのへん全然合わなくてもよかったんだけど、今となれば違いを理由にできるのでありがたい

好きじゃなかったけど好きだったような気もするような遠い記憶って歌詞あったな、明け方の月が隠れていくような何かを失った気がしてる、だって

昔流行った曲を振り返るだけの番組、なんか好き

憑き物が落ちたような、ってこういうことかも

こんなに清々しくなっちゃうんだとびっくり

それと、事後に幸福感がないならやっぱり駄目なんだと思う

100%純情だったことなんかあるのだろうか

成程、自分は無理している